前回、小4Bクラスの国語の授業では、「一つの花」の単元に入りました。この物語は戦時中、出征していく父親を前に「ひとつだけちょうだい」と食べ物をねだり泣き出した小さな子どもに、プラットホームの端に咲いていた一輪のコスモスを父親が見つけてきてプレゼントする、というお話しです。(これは、戦時中の食糧難を背景に描いたものです)

 さて、授業を始めるため「一つの花」を私が音読しようとした時のことです。


生徒A「先生!これ、戦争の話でしょう?」
生徒B「そうだよ!これ、戦争の話しじゃんね、先生?」
私「そうだけど… なんで知ってるの?」
生徒B「家で読んできちゃった!」
生徒A「でも、私この話しあんまり好きじゃない。」
生徒C「なんで?」
生徒A「だって可哀想なんだもん…。」
私「可哀想?」
生徒A「うん。だって、あの子(主人公)が食べるもの、あまりないんでしょ?それに、戦争みたいな、戦うことは私嫌い。だから、この話し好きじゃない。」
生徒C「そうなんだぁ…。私は別にこのお話し嫌いじゃないけど。でも、私も戦争は好きじゃない。っていうか、嫌い!」


 物語文に興味をもって、自発的に予習をしてきたこと。正直、驚きました。それから、自分の考えを、ただ単純に“嫌い”という括りの中で考えるのではなく、“なぜ”“どうして”と自分自身の気持ちを進んで分析し発言してくれたこと。その発言に対して、普段はあまり自分の意見を主張しない生徒が、自分の意見としてそれを発信してくれたことに喜びを感じました。そして、授業の中でも・・・


私「配給ってなんだろうね?」
生徒A「知ってる!」
生徒B「ニュースでやってるの、俺見た!」
私「ニュース?」
生徒A「あぁ、やってた!地震の時になんか言ってた!」
生徒C「あぁ… 私も聞いたことある!!」
私「じゃぁさ、さらに聞いちゃうけど、配給ってどんなことするの?」
生徒A「要はさ、あれだよ。困っている人に食べ物配るんだら?」
生徒B・C「(うんうん、と頷く仕草)」
私「なるほどね。ちなみに、配られるのは食べ物だけ?」
生徒A「ううん。物資も!」
私「おぉ、難しい言葉知っているね。ところで、物資ってなに?」
生徒B「う~ん、洋服とか。…とりあえず、物だよね?」
生徒A「とにかく、食べ物以外にも、色々あるってこと!」

 
 『配給』という言葉を聞き、これまで見たこと、あるいは聞いたことを総動員しての話し合い。この後、実際の戦時中の配給の写真を見せると、納得したような顔を見せてくれました。





【↑ 戦時中の配給の写真】

そして…


生徒A「思ったんだけど、何か物をもらう時に並んでる感じが、今とあまり変わらないね。」
生徒C「でもさぁ、着てる洋服や髪型、手にもっているものは今と全然違うよ?」
生徒B「本当だ!これなんか、カツオくんだし、こっちはワカメちゃんみたい(笑)」
生徒A「そしたら、こっちは船さんで、隣りにいるのは波平だぁ!!(笑)」
一同「確かに~!!!(爆笑)」

 
 最後、話は脱線しましたが、私が誘導しなくても、現代と当時の様子を比較し、類似点や相違点を写真から読み取ろうとしてくれました。子どもたちが何気なくしていたこの会話こそ、実は非常に大切なものだったのです。
 こういった現代とは異なる時代の物語文を読んでいる時、私は聞いている生徒の顔を見ながら、<全然違う世界の話しを聞いているような気がしているんじゃないかなぁ><イメージが湧き辛いのではないかなぁ>と思うことがあります。実際話しを聞いてみても、「大体こんな感じかな、っていうイメージはあるんだけど、今とは全然違う時代だし、やっぱり違うような気がしてきて最後は分からなくなる」とか。
 想像するに、子どもたちの中では戦争時代と現代とでは、点と点のように別々の世界のもの、という認識をしているのでしょう。でも、実際には時の流れに伴い、少しずつ変化することはあっても、変わらないものが確かに存在します。それは時代と時代が別々に分かれているのではなく、一つの線で結ばれているからこそのものです。それを確認するためにも、今も昔も使われている言葉の意味や内容について考えてみたり、上記のように昔の写真と現代を比べて、「何が同じで、何が違うのか」に着目して考えることが大切なのではないでしょうか。それがイメージを膨らめやすくさせる第一歩に繋がるように感じます。今後、どのような話し合いが展開されていくのか楽しみです。

(岩瀬)